ドライジンとレモンジュース、
そして<完全なる愛>という名を持つリキュール・パルフェタムール。
これらをシェイクしてつくられるカクテル<ブルームーン>。
その美しい色合いとほんのり甘酸っぱい味わいとで女性などにも人気の高いカクテルですが、
結構その名前にもロマンチックな意味合いがあるようで……。
いらっしゃいませ。Bar SOMEDAYへようこそ。
やぁ、間柴さんじゃないですか。お早いですね、お疲れ様です。
週末の開店間際、常連客の間柴氏は現れた。
近くのコンピュータ関連の会社に勤める彼は、3つ年下の彼女と共によくウチを使ってくれていた。大抵の場合が週末のデートの待ち合わせ場所にウチを選んでくれているようで、1~2杯のカクテルを楽しんだ後、食事をするために席を立つのが常だった。
とは言っても、間柴氏の方がかなり仕事が忙しいようで、大抵の場合彼女が先に来て待っていることが多かったのだが、今日は珍しく彼の方が早く、しかもこんな開店間際という時間帯の来店に、私は何だか意外な気がしてつい口を開いていた。
「珍しいですね、間柴さんの方がお早いなんて」
「うん、ちょっとね。祐子は後1時間ぐらいはこないと思いますよ」
彼は答えた。が、そんな彼のどこかそわそわした様子が私には気になった。
「で、とりあえずは何を飲まれますか? やっぱり仕事の後はビールですか?」
そうして私は、彼がいつも定番で頼むビールの銘柄を告げた。が……。
「あ、いや……。今日の一杯目はマスターにぜひお願いがあって来たんですが……」
「お願いですか?」
「ええ、実は今日この後祐子に会ったら、その……、プロポーズをしようと思っているんですよ」
「えっ!? 本当ですか。それはどうもおめでとうございます」
私は思わず大きな声を出していた。
そうか、それで彼のそわそわした態度も合点がいく。
もともとは男の同僚の方と連れ立ってか、一人で来店することが多かった彼が、『彼女が出来ました』と祐子さんを連れてきたのは、確か3年ほど前になるだろうか? 思い切り照れながら彼女を紹介する彼の姿が妙に心に残っている。
そしてそれ以来、彼が一人で現れた時などには、祐子さんと結婚を考えていると言っていたから、今回のプロポーズという流れは至極分かりやすいものだったのだが、さて、私にお願いとは……?
「いや、おめでとうございますって言っても、プロポーズするのを決めただけで、まだOKしてもらったわけじゃぁないんだけどね……」
「ああ、そりゃまぁそうですが、きっと大丈夫ですよ、間柴さんと祐子さんなら。とってもお似合いです」
私は思わず、聞きようによってはかなり無責任なせりふを言っていた。
が、この3年の間ウチにくる二人の様子を見ている限り、もういつ結婚してもおかしくないような感じだったから、彼女がそれを断るなんてことはおよそありえないことのように思えた。
もっとも、私とて一人モンで結婚経験も無ければプロポーズの経験すらないのだから、あまり参考になる意見ではないのかもしれないが……。
「それでですね、ぜひマスターにそのプロポーズがうまくいくような、縁起のいいカクテルかなんかをお願いしたいと思って来たんですよ!」
「げっ! それはかなり責任重大ですね」
勢い込んで言う間柴氏の思わぬ言葉に、私は思わず腕を組んで考え込んだ。
結婚にまつわるロマンチックな名前のカクテルは、まぁ、ある。例えば<ハニームーン>なんかがそうだ。しかし、これからプロポーズをしようという男性を景気づけるカクテルとなると難しい。
しかも、万が一そのカクテルを飲んで後のプロポーズがうまくいかなかったりしたら目も当てられない。
「う~ん」
しかし、間柴氏の勢い込んだ顔を見ていると、これに応えないわけには行かず……。
と、私はふと一つのカクテルの名を思い出した。そして同時に同名の音楽も……。
「あ、いいのがありましたよ間柴さん。これならぴったりです!」
「ホント? じゃあ、それお願いします」
ホッとしたように言いながらスツールに座りなおす間柴氏の目の前で、私はシェーカーを用意した。そしてスクイーザーで半分に切ったレモンを絞る。それからバックバーからマリーブリザールのパルフェタムールと、冷凍庫からキンキンに冷えたビーフィータジンのボトルを取り出す。そして、それらを氷を満載したシェーカーの中に……。
「お待たせしました」
シェーカーの中の薄紫色の液体をカクテルグラスに満たすと、私はゆっくりと間柴氏の前にそれを差し出した。
「これは?」
「ブルームーンというカクテルです」
間柴氏の問いに、私は短く答える。「ぜひ、これからのプロポーズがうまくいくように祈りながら飲んでください」
「ふ~ん……」
曖昧にうなずきながら、間柴氏はそれに口をつける。
「あ、うまいですね、これ」
「ありがとうございます」
彼の言葉に、私は短く礼を返す。
「ところで、訊いてもいいんですか?」
「はい」
「なぜ、このカクテルなんですか?」
「ええ、それはですね」
当然の彼の問いに、私は一つ大きくうなずくと言葉をつないだ。「実際のところこのカクテルの名前<ブルームーン>が何でこの名前になったのかはよく分からないんですが、<ブルームーン>という言葉自体には間柴さんのリクエストに答える大きな意味があるらしいですよ」
その意味と言うのはこうだ。
通常月というのは30日を一区切りとして満ち欠けを繰り返しているから、一ヶ月の間に満月を見ることができるのは1回限りだ。
だが、暦上31日まである日が存在する関係で、その周期にはズレが生じ、何年かに一度一ヶ月に2度満月にお目にかかることができる時がある。
で、その2回目の満月のことをブルームーンと呼び、願い事をかなえてくれるという言い伝えがあるらしい。そんな話を、私の好きなとあるアーティストの曲の中で知って以来、それまでも好きだったブルームーンというカクテルがなんだか前にもまして特別なもののように思えてきたものだった。
「へ~、そうなんですか。初めて知った」
私の話を黙って聞いていた間柴氏は感慨深げにそう呟いた。
「私もその曲を聞いて初めて知ったんですけどね。どうやらブルームーンというのにはそんな意味があるようなんです。ま、もっともこのカクテルの<ブルームーン>がそれから名づけられたのかどうかはわからないんですがね」
「ふ~ん。……うん、でもこの<ブルームーン>にもそんなご利益があるといいなぁ」
「ええ、きっとありますよ」
私はたいした根拠は無いが、そう言って大きくうなずいて見せた。
と……。
「あれ? 珍しく早いわね。どうしたの? あ、マスター今晩は」
間柴氏がブルームーンを飲み干すのとほぼ同時ぐらいに店の扉が開き、当の祐子さん本人が顔を覗かせた。
「ん? ちょっとね、珍しく仕事が早く片付いたからさ」
「ふ~ん。で、なに飲んでるの?」
曖昧にうなずいてみせる間柴氏の隣のスツールに祐子さんはスルリと座ると、屈託の無い笑顔でそう言った。このあっけらかんとしたところが彼女の一番の魅力だと、私は思っているし、どうやら間柴氏が彼女に惚れたのもそんなところが原因らしかった。
「いらっしゃいませ。祐子さんはどうなさいますか?」
「あたし? う~ん、そうね。なんか今日は思いっきり疲れちゃったから、まずはビールが飲みたいな。ハイネケンください」
「かしこまりました」
「あ、マスター。僕もハイネケンください」
グラスのブルームーンを一息に飲み干すと、間柴氏は言った。
「なに? カクテル飲んでからビール飲むの? 変わってるわね」
「いいのいいの、このカクテルは一杯だけで。ね、マスター」
そう言ってウインクをしてみせる間柴氏に、私は大きくうなずいて見せると、今度二人の前で抜くのが祝いのシャンパンのコルクであればいいなという願いを込めながら、2本のハイネケンの栓をいきおい良く抜いた。
数時間後、ウチのNo.1常連まっちさんをもてなしている時、ふいに電話が鳴った。
「はい。Bar SOMEDAYです」
「あ、マスター? さっきはどうも、間柴です」
聞きなれた声が受話器から聞こえてきて、私はわずかな緊張を覚えた。さて、結果は・・・・・・。
「ありがとうマスター。ブルームーンのご利益ありましたよ」
「本当ですか!? それはおめでとうございます」
「これもマスターのおかげです! ホント感謝してます!」
「いえいえ、私なんか何も・・・・・・」
声を弾ませて言う間柴氏に私はもう一度お祝いの言葉を贈ると、今度お二人で見えた時にとっておきのシャンパンをプレゼントする約束をして受話器を置いた。
本当によかった。・・・・・・私は大役が果たせたことに対する安堵感でほっと胸をなでおろした。そして、ふと思い立って目の前の常連客に声をかけた。
「まっちさん、たまにはカクテルでも飲みませんか?」
「え? カクテル? いいよぉ、奢ってくれるんだったら何でも飲む飲む」
そう言って肯くマーチさんに背を向けると、私は数時間前にも並べたものとまったく同じボトルを取り出した。ただし、今度は2杯分。
「さて、どうぞ。これは私の奢りです」
「でも、どうしたの? 急に・・・・・・。なんかのお祝い?」
「ま、いいからいいから。さ、グラスを取ってください」
そして私はスミレ色の酒で満たされたカクテルグラスを手に取った。それから、軽くまっちさんにそれを掲げてみせる。それが乾杯の替わり。そうしておいて、私は半分ほどの量を一息に飲み干した。
このブルームーンへの願い事、それはもちろん、これからの間柴さんたちの幸せのために、そして、私自身のまだ見ぬ素敵な誰かのために……。
2000.8
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